第1964号2015年9月10日号
第28回沖縄平和学習の旅 沖縄戦が現在(いま)に残したものとは

8月11日(火)から14日(金)までの日程で、第28回沖縄平和学習の旅を開催しました。青年部員18人が参加し、平和教育のあり方について学習を深めました。全行程において沖縄県教組の山本隆司委員長に帯同していただき、参加者は真剣な表情でそのお話を聴いていました。

8月11日(火)
沖縄県教育会館
教育関係戦没者慰霊室参拝
沖縄県教組書記局のある教育会館3階には、教育関係戦没者慰霊室が設けられています。沖縄戦で尊い命を落とした子どもたちや教職員、教育関係者7,609人が弔われています。教育会館内にこのような規模の慰霊室があるのは沖縄だけです。
8月12日(水)《中部》
嘉数高台(戦跡)
沖縄国際大学(ヘリ墜落現場)
チビチリガマ
シムクガマ
ヌチシヌジガマ
沖縄島の地下には無数の自然洞窟があり、「ガマ」と呼ばれています。大小合わせて何千といわれているガマは、激しさを増す沖縄戦から多くの住民を守りました。しかし、チビチリガマのように、米兵を恐れるあまり毒薬等による「自決」「集団死」に追い込まれたガマもありました。ガマの中には一切の光はなく、長くは半年近くもそこで過ごした住民もいました。
8月13日(木)《南部》
南風原陸軍病院壕跡
アブチラガマ
摩文仁 平和祈念公園
沖縄県平和祈念資料館
ひめゆり平和祈念資料館
魂魄の塔・米須海岸
南部の戦跡は、既に戦闘力を完全に失っていた日本軍の敗残兵と無防備な地元住民の多くが悲劇的な結末を迎えた地です。日本軍と地元住民がどのような関係であったのか、また当時大量にいたとされる朝鮮半島の人々がどのような立場であったのかを学びました。

旅の行程の中で、普天間飛行場を始めとして、多くの米軍施設を見ることができました。そのうち住居施設等は空洞化がすすんでおり、利用されていないものも多くありました。また、近年返還された土地には大規模な商業施設が建ち、賑わいを見せていました。現在の基地問題の出発点は、終戦直後の民間地の強制接収です。多くの問題が放置されたままに、現在も沖縄に多くの負担がかけられています。

【参加者によるレポートより】
  • 沖縄には「命どぅ宝」という言葉があると教わった。生きていればこそ、という意味である。当時の県民の4人に1人が亡くなったからこそ、特別の響きをもつ。その意味を確かめ、今を生きる私たちと同じ人間が、こうした悲惨な出来事をどうして起こしたかを考えていきたい。
  • 実際にガマに入り、明かりを消し、山本さんからこの場所で起きた現実を聞くことができたことは、とても貴重な経験だった。これから先、実際に戦争を体験した方から話を聞ける機会はどんどん減っていくだろう。山本さんのように話すことは自分にはとてもできないが、戦争が過去の話にならないよう、自分も少しでも次の世代に話していかなければいけないと感じた。
  • 「ごめんね、私は生き残ってしまって」と毎日手を合わせているというひめゆり学徒の方の展示を見た。凄惨な記憶と、生き残ったことへの自責の念が、今を生きる人々を苦しめている。死んでしまった人以上に、生き残った人々の生き方や抱えている思いが重いと感じた。「今日もたくさんお見えになるはずだから、伝えるよ」という言葉も書かれており、涙が出てきた。