第1954号2015年4月10日
くり返すまい あの日あの時

突然「坊や、坊や」と腸を裂くような悲痛な声がします。杉本さんの奥さんにだかれた坊やが、がっくり首を垂れています。二日前に長女を失い、残された愛児を続いて奪われようとして、坊やの魂を呼びもどそうと、必死に叫んでいるのです。暫く抱きしめていましたが、急に枯草の褥(しとね)の上に投げ出し、二児の名を交互に呼びながらふらふらと出ていきました。そのうち子守唄を口ずさみながら山道を歩き続けていきました。ついに発狂してしまったのです。(中略)戦争とは、いたいけな子どもの命も、母親の嘆きも、受け入れることのできない非情な世界であることを痛い程、知らされました。(「南の島パラオより生還の記」 水野シヅ 原文のまま)

これは『くり返すまい あの日あの時』(静岡県教職員組合編著、1980年)への寄稿の一節です。委員長室の書棚にあるこの本と『いのちの花』(静岡県退職女性教職員の会編、2003年)を今改めて読み返しています。どちらも戦争体験を後世に伝えたいと記憶を形にして残してくれたものです。戦後70年を迎え、戦争を経験していない世代が、自分を含め国民の多数を占めるようになった今、このような悲痛な訴えをどうやって受け止め、次の世代に引き継いでいけばよいかと思いを巡らせています。

私は青年部時代に、今も静教組で続けている「沖縄平和学習会」に参加し、平和と命の大切さについて考えを深める機会を得ました。学校教育や普段の生活の中では学ぶことのなかった歴史や事実を知ることで、自分の中の何かが変わったことを覚えています。我が子が命の灯を消そうとする時に何もできない怒りにも悲しみにもならない辛さ、時として我が子の首に自らの手をかけなければならない状況を生み出す異常な感覚、捕まって生き恥をさらすならば死を選べと教えられ自決したひめゆり部隊の少女たち、これらの事実は、戦争とは何と憎むべきものであったのか、と私の胸を突き刺しました。しかし一旦、日常の慌ただしい生活に戻れば、いつの間にかそのズシリとした重たさが徐々に薄れてしまい、目の前の事に追われる自分でもありました。教育に携わる者として、沖縄で学んだことを反芻し、もっと何かができたのではないかと自省しながら今に至っています。政治が、社会が危うい方向へと向かうのではないかという懸念が強まる中だけに、今できることに力を尽くさなければと自らに言い聞かせています。

静教組運動の中では、平和を脅かす動きに対峙する意思表示として集会参加や署名等にとりくむことに加え、自らが平和を学び、その経験を子どもたちと共有する営みを教職員組合の役割として大切にしています。それは過去の歴史や事実を伝えるという単なる価値の伝達だけでなく、「平和」という概念を広く捉え、子どもたちが身近な問題として主体的に考えることのできる場を作ることをめざすものです。つまり、戦争だけでなく身の回りに起こるもめ事や争い事を含め、なぜそういうことが起こるのか、どうしたら平和的に解決できるのかを考え、行動に移す力を育むことが、長い目で見れば平和を創造する力につながるのではないかということです。この考えは静教組立教育研究所「国際連帯と平和研究委員会」での研究協議と実践に引き継がれています。教育研究所からの提言にもぜひ関心を寄せていただければと思います。

静教組青年部は今も沖縄と広島の地を隔年で訪れ、現地で直接の見聞を通して平和学習を重ねています。戦争体験のない世代が貴重な経験を得ることのできる場であり、今後もこの体験を共有する仲間が広がることを願っています。その上で、過去を語り継ぐことの意義を踏まえつつ、未来に目を転じて身近な所での平和の創造に向けた運動が並行してとりくまれていることに意を強くしています。