第1869号2011年9月25日
平和・人権の大切さを考える 沖縄平和学習の旅

2011.8.17〜20

「沖縄を知る、戦争を知る、そして平和教育実践の第一歩とする」という趣旨で始められた「沖縄平和学習の旅」は、今年で26回目を迎えました。

沖縄の戦跡地を巡り、平和・人権の大切さを考えるこの学習会の参加者は、これまでに600人を超えています。今年も各支部から19人の組合員が参加し、学習を深めました。

主な行程
8月18日(金) 嘉数(かかず)高台(沖縄戦跡&普天間基地)→沖縄国際大学ヘリ墜落現場→嘉手納空軍基地→チビチリガマ→シムクガマ→ヌチシヌジガマ
8月19日(土) 南風原(はえばる)陸軍病院跡→アブチラガマ→摩文仁(まぶに)の平和祈念公園(韓国人慰霊塔・平和の礎(いしじ)・静岡の塔・平和祈念資料館)→ひめゆりの塔→魂魄(こんぱく)之塔・米須(こめす)海岸

▲沖縄の教育関係戦没者の
説明を受ける

▲南風原陸軍病院壕跡を見学

▲平和の礎(いしじ)を歩く

明暗を分けた2つのガマ

ガマというのは、自然洞穴(鍾乳洞)のことで戦時中に住民が避難した場所である。ガマの中は大変暗くて、狭く歩きづらい道が続いていた。しかも水が流れているため、住民はいったいどこに座っていたのだろうと思うような所だった。

チビチリガマでは、避難民約140人のうち83人が「集団自決」に追い込まれた。「捕まったらアメリカ兵は残虐な殺し方をする」と信じ込まれた恐怖から、混乱状態の中で我が子に手をかけたり、布団に火をつけたりしたという。石碑には、亡くなった方の名前や年齢が家族ごとに記載されていたが、半数が子どもという事実に胸が痛んだ。

一方、シムクガマでは、ハワイに移民したことがある住民が「アメリカ兵は住民を殺さない」と住民をどうにか説得し、投降に導いた。助かった命は約1,000人。1kmも離れていないこの2つのガマで、運命を大きく分けたのは、正確な情報と教育のあり方ではないだろうか。そしてあの暗いガマから出ていくときの勇気と再び太陽を見た時の喜びは計り知れないものだろうと感じた。

(東豆支部 坂本あゆみさん)

ひめゆりから学んだこと 

ひめゆりの塔資料館では、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒たちの思い、無念さについて実感した。女学生たちは、将来看護師をめざすごく普通の女の子であったが、戦争によって夢や希望のほとんどを奪われてしまった。当時ひめゆり学徒隊として看護にあたっていた方から話を聞くことができた。その方は、自分の目の前で友達が、アメリカ兵に殺されたリ、追い詰められて自決したりしたという当時の様子を語ってくださった。

私は、毎日、多忙な日々に疲れを感じることはあるが、死につながるようなことを考えたことはない。今の世の中がいかに平和であるかということを改めて実感する。現在危惧されているのは、戦争を生き抜いてきた人が年々減っていることである。そのため、戦争体験者の思いを後世に語り継いでいくことが、今の私にできることであるので、学校教育の中で平和教育をより一層推進したい。

(浜松支部 加藤陽介さん)