第1868号2011年9月10日
一歩一歩前にすすむ 〜日教組独自「被災地支援・教育復興ボランティア活動」〜

被災地の子ども・学校・教職員に関わる支援活動を行う日教組独自のボランティア活動に、静教組から4人が参加しました。7月27日〜31日、岩手県陸前高田市において、避難所となった広田小学校での教室移動、1階の天井付近まで津波に浸かった民家の壁はがし、側溝の泥出しや土嚢づくりを行いました。


▲広田小で黙々と学習する中学生

梶原利彦さん(沼津支部)

広田小学校でともに学校生活を送る小中学生の学習環境を整えるために、教室移動を手伝った。図書や教材を運びながら、このような環境の中で学習しなければならなかった現状を目の当たりにし、何とも言えない感情が溢れ出てきた。また、避難所の中心だった体育館や寄付された数十台の洗濯機の片付けも行った。被災された住民が仮設住宅に移った後の片付けはすべて当該校の教職員が行っているという現実がある。被災地の教職員のために、そして子どもたちのために、何ができるのか今後も引き続き考え、行動していかなければならない。涙を浮かべながら被災後の状況を語ってくださった女性教職員の表情が今でも目に焼き付き、忘れられない。

伊藤秀男さん(志太支部)

震災発生当初、教職員は自分の家庭を後回しにして児童生徒や地域住民のために働いたと聞いた。非常時だからこそ、子どもたちが「日常の学校」に近い生活を送れるよう、精神的・肉体的にギリギリの中で勤務を続けてきたことだろう。私たちは、広田小学校で学級備品・跳び箱・テレビ・洗濯機などの移動を行った。教職員の方々の負担を少しでも減らし、休日を増やすことに貢献できたなら、教育復興の一助になる活動ができたと思う。

ガレキが撤去されてきれいになった道路も、側溝のふたを上げると泥とともに生活用品が埋まっていた。3月11日のままなのだ。被災地はまだまだボランティアによる「マンパワー」を必要としている。

森本伸二さん(浜名支部)

高く積まれたガレキの山。土台しか残っていない住居跡。崩れたコンクリートの防波堤。地震から4カ月半経った今でも、陸前高田市、大船渡市の被害状況はすさまじいものだった。津波の恐ろしさを改めて実感した。

広田小学校の教職員は、家族や家を失った方もいたが、明るく元気に振る舞っていた。前を向いて生きていることを感じ、逆に元気をいただいた。自分たちの作業は些細なものかもしれないが、「機械ではなく人の手」でなければ復興できないものがたくさんあることがわかった。

被災地が完全に復興するまでに10年はかかると聞いている。今後も様々な形で、復興支援に関わっていきたいと思う。

加藤宗重さん(駿東支部)

自分に何かできることはあるのか、役に立つことができるのか。そんな思いで、活動に参加した。

広田小学校では、まだ中学校の授業が行われていた。中学の校舎は津波の被害で使えない。小学校の教職員は教室環境を整備する作業に追われていた。

陸前高田市は市街地のすべてが流されてしまった。教職員の方々はどんな思いで働いているのだろうか。休憩時間には、家や家族を流されてしまった教職員も多くいるという話を聞いた。そんな状況でも前向きに過ごしている教職員の方々を見て、自分の方が勇気をもらった。来てよかったと思った。

大きな役には立てなかったが、「小さな一歩を続けていくこと」が大切だと感じた。


▲左から 伊藤さん・森本さん・梶原さん・加藤さん