第1862号2011年6月10日
被災地支援ボランティア活動(5月10日〜5月18日)
〜ともに歩む気持ちをつなげよう〜

連合による、岩手県での「被災地支援ボランティア活動」の第6次派遣に、静教組から萩野秀剛さん(田方支部)と村瀬智洋さん(富士支部)が参加しました。以下は、その活動報告です。

ボランティア活動1日目。午前中は、個人宅の家財の片付け。現場に着き、車から降りると、海のにおいに何かが混ざったような何とも言えない異臭が鼻をつく。家に入ると床が抜け、家財が散乱し、背の高さまで水に浸かった跡が残っている。タンスなどの家具や水を吸った衣類や本などを運び出す作業は、かなり重労働だった。写真やプリクラ、大事に取っておいたと思われるものが出てくると、捨ててもいいものか心苦しかった。雨戸が閉まるようになったのを家の方が見て、「これで人が管理している家になった」と嬉しそうに話された。2か月間、この家に手をつけることができなかったことに気づいた。


▲ヘドロの掻き出し作業

ボランティア活動3日目。床の下の泥出しを行った。床下に残っているヘドロを掻き出し、土嚢に詰めて運び出し、最後に消毒用の石灰を撒く仕事である。スコップなどを使っての低い姿勢で行う作業、ヘドロの詰まった重い土嚢の運び出しと、体力を要するきつい仕事だ。

この家のご主人は、家財の運び出し、床や壁をはがす作業を2か月かけてほぼ一人でやってきたそうだ。しかし、この家に住み続けるかどうか、まだ迷っているそうだ。様々なものが運び出される中、仏壇や戦死した義兄の遺品は捨てられないと話をされた。


▲海に沈んだ野球場

作業後、陸前高田市を訪れた。山を越えて市街地が見えると、バスの中にいた全員が息をのんだ。何もない。360度見渡す限りガレキしかない。バスの運転手の話だと、海が見えないくらい建物が建っていたそうである。それが今は海まで遮るものが何もない。海岸沿いに7万本あった松林は、たった1本を残してなくなった。海沿いにあった野球場は照明灯だけを残して海に沈んでいる。街の中心部から少し離れたところに学校が2校あった。1校はグラウンドに仮設住宅が建っていた。どちらの学校でも子どもたちが部活動をやっていた。そろいのジャージで野球やテニスの練習に一生懸命とりくんでいる。自分の学校でいつも見ている日常の光景だ。すごいと思った。この子どもたちは前に向かってすすんでいる。少しでも、その手助けをしていきたいと感じた。


▲床はぎ作業を
する 萩野さん


▲高圧洗浄作業を
する村瀬さん

ボランティアだけではなく、全国から多くの人が支援に入っている。日本中からの支援のつながりを感じる。街中では全国各地から集まった警察が交通整理やパトロールを行っている。自衛隊はガレキの片付けや行方不明者の捜索だけでなく、避難所の食事の炊き出しなどを行っている。支えられる側だけでなく、支える側の肉体的、精神的なケアも必要になってきている。

これから復興までの長い間、被災者、支援者の別なく、ともに歩んでいく気持ちをつなぎながら活動していくことが大事なのではないだろうか。