私は幸せ
湖西市立東小学校 5年 橋 明日香

 私は生まれつき心ぞう病です。
 友達に「かわいそうだね。」と、言われることがありますが、私はそう思っていません。なぜなら、今が幸せだし、病気をもっていても出来る事があるからです。苦しい時や、つかれる事もあるけれど、友達の応えんや、助けがあるとうれしいです。みんなと同じペースは、早くてついていけないときもあります。そんな時クラスメイトは、私がつかれていることを分かってくれてとてもうれしいです。いつも「ありがとう」と伝えています。
 学校では、階段が上れないので、しょうこう機で先生に上げてもらっています。五年生から三階の教室になったので、三階に上げてもらうことに気が引けて、大好きな図書室(二階)へあまり行けなくなりました。今は、掃除場所が図書室なので、掃除の前に本を借りています。本当はもっと行きたいです。四年生のころは教室が二階だったので、毎日行っていました。
 教室では酸素のうしゅく機を使っているので、体も気持ちもとても楽です。でもコロナウイルスのせいでマスクをしていなければいけないので、息がしにくいです。移動教室のときは、マスクをつけていることと、酸素を持っていかないので苦しいときもあります。
 運動はあまり出来ないけれど、大好きな読書や工作が出来る時は楽しいです。運動が出来なくても好きな事が見つかって良かったなと思います。
 私はお話を書く事も大好きです。なぜならお話の中でならどんなに体を動かしても、苦しくないからです。絵をかくことも大好きです。絵の中では自分を自由自在に動かしたりして、架空の世界の絵をかくことができるからです。自分には出来ないことが出来るようになれたらいいなと思います。
 今は、コロナウイルスに感染しないように毎日、手洗い・うがい・消毒をして、出来るだけ外出しないようにしています。私は心ぞう病なので、感染したら命に関わるので心配です。早くこのコロナ禍が終わってほしいと思います。これからも予防をしっかり続けて、感染しないように気を付けます。
 「私はかわいそうでない」と、勇気をくれたのは、四年生の時、海老原宏美さんの本を読んだからです。海老原さんは、体の筋肉がだんだん衰えていくなん病にかかっています。車いすに乗っていて人工呼吸器を付けているけれど、私達と同じように話すことができます。
 私が一番勇気づけられたのは「障害のある人もない人も、目指すのは思いやりじゃなくて『人権』です。」と言ってるところです。人権とは、全ての人が生まれながらに持っている、人が人らしく生きていくための権利です。
 むかし、脳性マヒという病気の子どもを、つきっきりでかいごしているお母さんがいました。自分も大変だし、「こんな姿で生きていたってかわいそう」「将来、明るく生きていけるとは思えない」と、思いやりによって自分の子どもを殺してしまったのです。
 近所の人達から、「お母さんの大変さはよく分かる。だから刑を軽くしてあげてほしい」との声がありましたが、脳性マヒの人達は、「障害があるからと言って殺されてもいい存在ではない。」と言いました。
 私はお母さんも大変かもしれないけど、障害があってもがんばって生きているから、命をうばうのはよくないと思いました。
 海老原さんは、「『かわいそうだからやってあげよう』というのが思いやり。人に対するやさしい気持ちは大切です。でも車いすの人を助けるときに必要な気持ちは、『かわいそうだから』ではなく、障害があっても、健康な人と同じように生活する権利がある。だから助けるのです。」「『かわいそうだから』という気持ちは、相手や気分によって左右されてしまいます。人権は、人の感情や思いには左右されません。」と言っています。
 私は心ぞう病だからみんなと違うと感じていました。酸素をしている、走れないし、階段を上れない。少しがんばるだけでつかれてしまいます。でも本当は、出来ないことが悲しいし、みんなと同じことをしたいです。
 私は「人権」という言葉を初めて知りました。障害があっても機械や周りの人の力を借りながらみんなと同じように生活していいんだと思いました。今までは、思いやりが大切だと思っていたけれど、人権もとても大切なことが分かり、すごく勇気がわいてきました。そして友達や身近な人にも、教えてあげたいと思いました。困っている人を見かけたら、自然に助けたいと思います。
 私は幸せだから自分のことを「かわいそう」とは思いません。私は障害のある人もない人も一緒に楽しくくらせる、差別がない町がたくさんできてほしいです。

人が人として生きていくための権利である人権。思いやりから出るやさしさは大切だが、それ以上に人権を認めた上で出るその心が大切なんだ、という主張が自らの体験から描かれています。だからこそ、「私は幸せ」と伝えたいのではないでしょうか。