第2143号2023年4月10日
“教育の力”に託された理想の実現を ともに

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静岡県教職員組合 中央執行委員長
赤池浩章

新年度を迎え、学校では“当たり前”のように子どもたちの元気な声が響き渡っていることと思います。思い返せば3年前の4月、教室に子どもたちの声はありませんでした。未知のウイルスに対する恐怖に世界中が襲われ、人々はなす術もなく、人との交流を避けざるを得ませんでした。当時、多くの国では、外出規制やロックダウン等の法的効力のある行動制限が講じられ、反対する人々の逮捕や死傷者が出る事態も発生しました。その後、新型コロナウイルス感染症は、変異しながら感染拡大期を繰り返し、徐々に恐怖の度合いを下げ、ようやく日本においても“当たり前”の生活が戻ってきた感があります。

この3年間、私たちは感染対策として、マスク着用や手指消毒をはじめ、県外への行動自粛や飲食店の休業等、政府・自治体からの要請に応じてきました。日本では憲法の規定上、人権を抑制する法・条例や行政執行はできません。そこで、政府・自治体は「命令」ではなく「要請」「お願い」を続けてきましたが、大きな混乱もなく現在に至っています。為政者(権力側)からすれば「有事」の際、命令を下すことができれば、従わない者を罰するだけで済むので、対応は比較的簡単かもしれません。一方、「要請」や「お願い」で大衆をコントロールすることは容易ではなく、最終的には個人の判断に委ねられるため、“内発的動機付け”が必要となります。私は、この間の人々の行動を見て“教育の力”を強く感じていました。

日本の学校・園では、集団生活において「人に迷惑を掛けない」や「相手のことを思いやる」といった“当たり前”のことを大切にしてきました。サッカーの国際大会において、試合後にスタンドでゴミ拾いをする日本人サポーターの姿が話題になりました。ベースボールの国際大会(WBC)では、外国チームの選手にも拍手を送る日本人の態度を、海外メディアが「見習うべき」と報じていました。残念ながら、政治レベルで日本の外交政策が評価されることはほとんどありませんが、日本人の社会性や国民性の高さは自負に値するものであり、私は“教育の力”つまり、教職員の日々の実践がその一翼を担っていると考えます。

国内外の状況に目を向ければ、ロシアによるウクライナ侵攻は終結の兆しも見えず、対応をめぐって欧米諸国と中国・インド等との関係に歪みが生じています。日本においては、敵基地攻撃能力の保有や防衛費の大幅な増額など、「新たな戦前」の様相を呈してきたとの声があります。日本国憲法の公布(1946年11月3日)と施行(1947年5月6日)の間に公布・施行(1947年3月31日)された教育基本法(旧法)の前文は次のように始まります。

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

76年前、日本国憲法から託された「理想」を実現するため、今日まで多くの教職員が、平和・人権・環境・共生そして民主主義を尊重する教育を続けてきました。そして、「理想」の実現への道のりは果てしなく続くため、“教育の力”も恒久的に役割を託されるものと思われます。私たち静教組の存在意義も、この「理想」の実現のためにあることを皆さんと共有し、歩みをすすめていきたいと考えます。2023年度もよろしくお願いいたします。