第1940号2014年9月10日号
「平和・人権・命」の大切さを考える

広島平和学習の旅

静教組青年部では、「平和学習の旅」として沖縄と広島を隔年で訪れています。2014年度は「広島平和学習の旅」。本部・支部合わせて18人の団員が参加し、平和・人権・命の大切さについて学んできました。

おもな日程
8月4日 平和祈念資料館参観 おりづる平和行進・原水爆禁止世界大会 参加
8月5日 大久野島フィールドワーク
8月6日 広島市内フィールドワーク
原爆の子の像〜原爆ドーム〜陸軍歩兵第11連隊跡〜大本営跡〜中国軍管区司令部地下防空作戦室跡〜比治山陸軍基地〜放射線影響研究所(旧ABCC)〜陸軍被服支廠跡〜軍港宇品港
【2日目:大久野島(毒ガスの島)】

毒ガス島歴史研究所の宇原さんを講師に迎え、日本軍が毒ガスを作っていた大久野島をフィールドワークしました。毒ガス資料館で、大久野島で製造されていたガスの種類や効果を知り、その後島内を徒歩で巡りました。この島は事実を隠すために島の存在を地図から消したり労働者に緘口令を敷いたりしていた島です。島内には毒ガス工場の跡がそのままになっており、毒ガスタンクの台座の数や貯蔵庫の大きさから、日本軍がどれほど大量の毒ガスを製造していたかがわかります。参加者は、今なお毒ガスの影響で苦しむ人々の存在を知り、加害者としての日本の歴史を知りました。

【3日目:広島市内(大本営・地下施設)】

講師の広島平和教育研究所の江種さんに案内していただき、広島市内の戦跡を巡りました。広島城は日清戦争時の大本営であり、太平洋戦争時にも大きな意味を持つ場所です。広島城の地下には地下防空作戦室があり、江種さんとともに地下施設に入り、説明を受けました。比治山には原爆投下の爆風で曲がってしまった鉄塔や鐘が残っており、原爆が広島に与えた損害の一部を当時のまま見ることができる場所です。また山頂には放射線影響研究所もあり、原爆の怖さは放射線であることを実感します。広島市内をバスで走っている間、自らも17歳の時に被爆している江種さんは「今もなお、川底には原爆の犠牲者たちが眠っている…」と当時を振り返り、私たちに語りかけてくださいました。その重みのある一つ一つの言葉から平和への祈りを感じました。

【参加者の声】
  • 戦争の本当の意味を伝えていくためにも、与えられた被害、そして与えた被害について正しく理解することが、未来を担う子どもたちと関わる、教師という職業の責任であり、使命であると考えるようになった。
  • 多くの学習をする中で、日本が加害者として人々の心や命を無惨に傷つけたことを知った。この過ちを忘れずに、子どもたちを二度と戦地に送らない平和な社会を築きたいし、そういった教育を子どもたちに施していきたいと強く感じた。
  • 事前学習会に参加したとき、執行委員から「平和とは何か。」と問いかけられた。この旅に参加して、答えを見つけることはできなかったが、ここで学んだことを多くの人に伝えたいという思いは芽生えた。
  • 江種さんの話の中で、「平和をなくしたら、教育は死んでしまう」という言葉があり、今も心に残っている。一人の教師として、これからも平和についての考えを深めていきたい。
  • 唯一の被爆国である日本だが、被害者の視点のみを語り世界平和を訴えていけばよいのだろうか。私の口から戦争を語るには自分の知識は不十分で、その事実は大きすぎて今は受け止めるだけで精一杯だが、この平和学習を通して感じたことを自分の財産にし、さらに学習を進め、戦争の歴史を正しく伝えていくことができたらいいと思う。