第2026号2018年4月10日
働く人を支えるしくみ

静岡県教職員組合
中央執行委員長

鈴木伸昭

2018年3月4日、連合静岡主催で「働く者のための働き方改革 〜2018春の集中行動〜 」と称して、1000人規模の集会とデモ行進が静岡市内で行われ、静教組からも約80人が参加しました。今国会で焦点とされる働き方改革法案が、長時間労働や過重労働を規制するものと促進するものとが混在し、しかも一括法案とされていることから意味をなさないこと、切り離して別々に審議・採決すべきことを訴える集会でした。この集会の折、私の心に留まる言葉がありました。集会の目的と絡め、幾つかの労働組合が直面する課題をアピールリレーする場面で、物流を担う労働組合の方から発せられた「送料無料は勘弁してください」という言葉でした。

現代は、「送料無料」と銘打った宅配商品の販売が広く行われ、消費者の味方のように受止められています。しかし、商品の搬送には相応の労働力が必要とされるわけですから、そこには労働の対価としての費用が発生します。送料は無料ではなく、誰かが負担すべきものです。それが販売主体の場合もあれば運搬主体の場合もあります。ただ現実はいずれの場合も、その費用が必ずしも働く人に適正に支払われているとは限らないようです。消費者にとっての便利さや安さは、労働の対価となる費用の切下げを誘発し、そこで働く人の環境を疲弊させてしまうことがあることに気付く必要があります。ある高校生は、新聞を用いた授業で100円ショップの商品が時給20円〜40円という低賃金で作られていることを知り、そこでの買い物をためらってしまったという感想を「途上国の賃金を考えよう」と題して新聞に投稿をしていました。商品やサービスの向上のために適正な競争原理が働き、様々な努力・工夫がされることは全く否定するものではありませんが、便利さや安さが至上の美徳とされると、そのしわ寄せはどこかに及んでいきます。

フェアトレード商品というものを見かけたことがあるでしょうか。発展途上国で作られた製品を適正な価格で継続的に取引をすることで、現地生産者が労働に対する相応の対価を得ることができ、生活向上を図るとともに持続的な事業継続が可能となる商品です。ヨーロッパを中心に1960年代から始まったとされますが、この考え方は国境を越えなくても、今や経済格差が拡大している国内でも同様の考え方が通用する状況にあるとも言えます。働く人を支えるためには、相応の価格や費用負担が必要であることを改めて考えさせられました。

転じて、私たち教職員の働き方は、労働の対価として適正な費用が支払われているかという視点で見るとどのように評価できるでしょうか。職務の性格上、無償のボランティアに近い仕事を引き受けざるを得ないこともあります。しかし、行き過ぎれば無理が生じます。働き方改革が社会全体の課題として論じられる中、そのバランスを取るための感覚が必要とされる時であり、共に考え運動につなげていきたいと思います。