第2002号2017年4月10日
今につながる過去を見つめる

静岡県教職員組合
中央執行委員長
(静岡教組執行委員長)

鈴木伸昭

静教組は今年、結成70周年を迎えます。1947年6月8日に日教組が結成され、同月27日に旧制静岡中学(現、静岡高校)講堂に於いて、県下小・中・高校(組織人員1万2千人)の代表が集まり静教組の結成大会は開催されました。戦前の教育を省み、同じ過ちを犯さぬよう教育の民主化を綱領に掲げ、平和な民主国家の形成に向け団結することを確認し合った大会でした。また、戦争の爪痕が残る劣悪な教育環境の改善と教職員の社会的地位向上に向けて動き出した日でもありました。過去の記録を辿ると、すし詰め学級解消、勤評・学テ闘争、主任制度闘争、人勧凍結阻止、運用昇短獲得、育休制度獲得等の運動が綴られ、そのとりくみを読み解くと、時代背景や運動を起こした必要性を窺い知ることができます。

私が役員として運動推進に関わってきた直近の約20年の中でも、数多くのとりくみがありました。1990年代には、全国に先駆けて学校5日制を視野に入れた教育課程編成や学期中途の休業日の設定等にとりくんだことが思い出されます。学校5日制を単に授業日を6日から5日に変更するだけの改革ではなく、教育における家庭・地域・学校本来の役割を取り戻し、教育のあり方を根本から見直すための「教育改革としての学校5日制」として捉えた運動でした。改革の具体案をリーフレットとして発刊し、支部・分会で学習・実践した考え方は、今も静岡の教育界に深く浸透しているものと私は思っています。

勤務条件の改善運動として、記憶の中で強く残っているのは、給与水準引上げを求めて1992年10月に清水市民文化会館で行った「全県分会長会」です。900人以上の参加者の中で、私は支部青年部長として参加していました。当時、静岡県の財政力指数が全国5位程度とトップレベルにある一方で、教育職の給与は25位前後、特に30歳代中堅層において35〜40位と落ち込んでいることが明らかになり、財政力指数に見合う給与水準への引上げを求めていました。県教委も改善の必要性を認め、県財政当局との折衝を重ねる中で、組合員の意思統一を図り後押しをする場でもありました。その後、教育職の給与を全国10位程度まで押し上げる改善案が合意され、その制度は現在にもつながっています。この時は教育関係団体が協力し教育界挙げてのとりくみを行った成果ではありましたが、その核を為したのは静教組であり、加えて最終的に予算の可否を決定する県議会において、教員出身の内山高(浜松)寺田伊勢男(磐周)松岡紋子(志太)の3県議(県政連議員)の働きかけによって他会派の合意を取り付けたことが重要なカギであったと記録に残されています。

組合運動は「今を知り、過去に感謝し、未来を創る」運動です。70周年を機に今につながる過去を見つめ、次の世代のために何ができるかを新たな気持ちで問い直し、今後の運動に邁進していきたいと思います。