第1997号2017年1月25日
書記長コラム 〜春夏秋冬〜 第4回

昨年末に中教審が指導要領改訂に向けた答申を行い、現在文科省は改訂作業をすすめている最中です。3月末には改訂された指導要領が告示されますが、答申から告示まで3ヵ月という短い期間でどうしてできるのかという疑問を感じます。本来ならば答申を得て、研究校等での検証を参考に練り上げていくべきものと考えます。さらに、今回の改訂では「道徳の教科化」が先行実施されるという異例もありました。これでは、指導要領の改訂内容が先に決まっていて、答申はそれに合うようにつくられていると揶揄されても仕方ありません。いずれにしても今後、指導要領改訂に基づいて教科書が作られ、各学校のカリキュラムにも大きな影響を与えるわけですから研究は必要です。

まもなく日教組の第66次教育研究全国集会(全国教研)が開催されます。静教組からも27人の組合員がリポーターや司会者として参加します。全国教研は討論主体の研究の場であるため、大いに日頃感じていることを語って欲しいと思います。ところで、この全国教研ですが、マスコミの関心も高く、毎年、多くの新聞社・テレビ局が取材に入ります。以前、あるベテラン記者から「近年のリポートはどれも似たようなものばかりで記事にできるものが少なくなった」という厳しい一言をいただきました。「職場の多忙化」が原因と言えばそれまでですが、本当にそれだけが原因でしょうか。

2002年に創設された「総合的な学習の時間」は、指導要領改訂の象徴的存在でした。社会の変化に柔軟に対応し、子どもたちに必要な学びを保障するためには、学校現場の迅速な対応が求められ、学習内容の定めのない「時間」が設定されました。しかし、教授法等の「研修」は重ねていても、カリキュラム自体の「研究」から遠ざかっていた現場からは悲鳴が上がり、結果的に「〇〇学習」のように固定化された学習が一般的になりました。全国的には「学力向上」策として総合の時間が使われている例もあり、もはや当初の目的は破綻したと言わざるを得ません。学校5日制とともに取り入れられた「総合的な学習の時間」は、いわゆる「学力低下」論や「ゆとり教育」批判の標的となってきましたが、それは誤りであると断言できます。なぜなら、学校現場に「総合的な学習の時間」が定着したことなど一度もないのですから…。

次期指導要領では、学習方法の一つとして「アクティブ・ラーニング」がクローズアップされていますが、私には「すべての教科で総合的な学習をすすめよう」というメッセージが伝わってきます。文科省には、この考え方の社会的合意形成を強く望むとともに、これと相反する学力観(点数で測る学力)と闘って欲しいと切に願います。次期指導要領は2020年度全面実施ですが、すべてを一気に変えることは難しく、また子どもたちの学びにも負荷をかけ過ぎてしまうため、できる教科・単元から始めていくことが大切です。静教組も2017年度初めには「教育政策提言」において考え方を示したいと思います。今後の教育研究集会が楽しみになってきました。

(静教組書記長 赤池 浩章)