第1979号2016年4月25日
書記長コラム 〜春夏秋冬〜 第1回

キャスターの古舘伊知郎さんが「無難な言葉で固めた番組は面白くない。情熱をもって番組を作れば多少は偏る」という言葉を残して『報道ステーション』を去りました。この春は、NHK『クローズアップ現代』の国谷裕子さん、『NEWS23』の岸井成格さんも番組を降板するなど、真意は明らかではありませんが、マスコミ全体に‘もの言えぬ’雰囲気が漂っている感があります。政治家のスキャンダルに終始する報道も如何なものかと思いますが、報道機関が人々の疑問や批判の声を排除するようになったら・・・70数年前の日本に逆戻りです!

一方、ネットの世界では、あらゆる情報がルールなしの状態で流され続けています。事件・事故・犯罪が一度起これば、被害者も加害者も未成年者も関係なく、名前や顔写真、経歴、家族の仕事…あっという間に曝け出され、関係者のその後の生活に大きなダメージを与えています。さらに、辛辣な言葉で埋め尽くされた‘書き込み’を読むと、この国の世論はいったいどこに向かっていくのかと憂いでしまいます。

先日、公職選挙法が改正され、今夏の参院選から駅やショッピングセンターなどの「共通投票所」(※各自治体の判断で設置)で投票ができるようになるとのことです。昨年は70年ぶりに選挙権年齢が引き下げられ、「18歳選挙権」が話題になりました。より多くの人々が選挙権を行使できるようになることは素晴らしいことですが、問題は‘誰に投票するか’を判断することができるための方策です。そこで、真っ先に白羽の矢が立てられたのが「主権者教育」です。しかも「政治的中立性」という注文まで付けられ、自治体によっては高校生の政治活動に対する規制を設ける動きもあります。高校では「模擬投票」のような政治教育を取り入れている学校もあるようですが、架空の政党や候補者を立てざるを得ず、技術的な内容となっています。

‘主権者’にとって必要なことは、社会の現状や将来に対する考えをもって政治に参加する姿勢であり、そのための学びの場は学校だけではありません。政治家(政党)の発言や考え方はもちろんのこと、様々な立場の人々の考え方に触れることが大切であり、マスコミの役割は重要です。学校においては、リアルな社会問題について考える学習とともに、全員参加型の主体的な生徒会活動が求められ、活動の場と時間の確保が必要です。(文科省・中教審には、是非考えていただきたいと思います。)そして、何より大切なことは‘何でも言える教室の雰囲気’であり、私たちが普段心掛けていることが最善の方策と言えるのではないでしょうか。

(静教組書記長 赤池 浩章)