第1972号2016年1月10日
執行委員長挨拶 奨学金制度から見えるもの

静岡県教職員組合
執行委員長
 鈴木伸昭

新年あけましておめでとうございます。

昨年は、国外におけるテロの発生や国内での安保法制の議論をはじめ、命の重みや平和・民主主義のあり方について深く考えさせられる出来事が重なりました。身近な生活と直結しにくい感覚はあるかもしれません。しかし安心して暮らすことのできる社会づくりのためには無関心でいられない問題です。新たな年を迎えても、引き続きしっかりと向きあっていく必要を感じます。

さて、少し話題は異なりますが、昨年末に組合員の皆さんには奨学金制度の改善を求める署名のとりくみをお願いいたしました。労働者福祉協議会・連合静岡からの要請を受け、急ではありましたが、署名を通じて早急な意識啓発が必要な課題であるとの認識によるものでした。

今や、日本の大学生の2人に1人が奨学金制度を利用していること、大学を卒業した時点で既に300万円以上の借金を背負っている若者が多いこと、返済困難になった延滞者が33万人以上にもなっていること等、意外な事実に最初は半信半疑でした。しかし、この問題にとりくまれている方々の話を聞くことで、先入観は取り払われました。

この奨学金制度の問題を通して、最初に突き当たるのは世代による認識のギャップです。「借りたお金は返すのが当たり前だ」「返せないなら、最初から借りるべきでない」「経済的に苦しければ無理して大学へ行かず就職すればよい」など、もっともな意見が特に年配の方からまず出されます。しかし、国立大学の授業料が40年前に比べると15倍近くになっていること(1975年、年額3.6万円→現在、年額53.6万円)、デフレ経済が続く中で家計収入が大きく減少していること(世帯年収の中央値、1998年544万円→2009年438万円)、高卒で就職したくても求人が激減していること(高卒求人数、1992年167万件→2014年29万件)、大学を卒業しても雇用労働者の約4割が非正規雇用という不安定な雇用状況を見ると、次の言葉が出てきません。国立大学の授業料は国からの交付金が減額されると2031年には年額93万円、4年間で372万円に引き上がるとの試算も示されています。日本育英会からの奨学金は、教職に就くことができれば返済免除という制度もありましたが、1998年に廃止されました。現在は単に借りた額を返すだけでなく、大半が有利子で貸し出される制度へと変わり、金融業者や債務回収会社が利益を上げる仕組みとなっています。こうした事実を、行政機関や企業等で意思決定を担う立場にいる年代の方に知っていただく必要がありますが、その方々が大学生であった頃のイメージで現在を捉えてしまいがちなことが、問題を見えにくくしているようです。こうした社会の構造的な問題が、「奨学金を借りざるを得ない」「返したくても返せない」状態を生み出しているということがよくわかりました。これらは、目の前にいる子どもたちと保護者の多くが、やがて向き合わなければならない問題であり、さらには社会に出た後、経済的な余裕の無さが結婚や出産・子育てといったライフステージを妨げる大きな要因になります。だからこそ、社会運動として問題点を共有し、世論を高める運動に積極的に関わっていく必要性を強く感じました。

こうした問題は誰かが声を上げ、その輪を広げていく努力をしなければ光が当たらないでしょう。社会運動として、私たち組合のような立場の者がネットワークを生かして広げる必要のあるものだと考えます。さらに、これを政治の場に届けなければ、制度改善につなげることはできません。それゆえ一般市民の立場に立った政治勢力の必要性を強く感じます。今年7月には参議院議員選挙が予定されています。経済・安全保障・教育等の各政策をはじめ論ずべき問題は多々ありますが、その中で、この奨学金制度の改善は、子どもの貧困対策と並んで注目されるべきものではないでしょうか。

※参考文献「日本の奨学金はこれでいいのか!」
(奨学金問題対策全国会議編、あけび書房)