第1968号2015年11月10日
第65次教育研究静岡県集会開催 主体的・創造的な教育研究活動の輪を広げる

10月24日(土)・25日(日)に、伊豆の国市立韮山中学校と韮山小学校(田方支部)を会場に、県内外から約800人が集まり、第65次教育研究静岡県集会が開催されました。

1日目午前は伊豆の国市韮山体育館で全体会が開催されました。鈴木伸昭静教組執行委員長は挨拶の中で政治主導の教育改革がすすめられていることについて触れ、「主権者教育」を例に挙げながら主体的・創造的な教育研究活動の必要性を訴えました。また、来賓を代表して挨拶に立った河野眞人伊豆の国市教育長は、「今後の実践にむけて新たな視点とヒントを見つける有意義な研究集会になることを願っている」と参加者へ励ましの言葉を送りました。全体会では、引き続き明星大学教授の樋口修資(のぶもと)さんを招き、記念講演が行われました。

執行委員長挨拶

平和な社会を形成する「主権者」が育つ教育の推進を

静岡県教職員組合執行委員長 鈴木伸昭

今、経済のグローバル化の進行やIT技術を始めとした各方面の先端技術の進展、そして膨大な情報の氾濫等、これからを生きる子どもたちをとりまく環境は、想像以上の変化・発展を遂げています。他方では、子ども・保護者の価値観は多様化し、教育に対する社会からの要請も高度化・複雑化することで、学校はその対応に苦慮する場面も増大しています。近年においては「子どもの貧困」が社会的な問題として大きく取り上げられ、16.3%、6人に1人が貧困状態におかれているという数字は教育関係者のみならず社会全体に波紋を広げました。教育界において政治主導の教育改革が進行していることも大きな課題です。教育の最前線にいる私たちは、そうした改革の波に対しては防波堤の役割を務める一方で、社会からの要請と子どもの実態の双方を見据え、必要とされる力を子どもたちが身に付けることができるよう指導・支援していかなければならないという板挟みの状態に置かれています。主体的・創造的な教育研究活動の必要性はこれまで以上に高まっています。

本集会のスローガンの中でも「平和を守り民主教育の確立をめざすこと」は教職員組合としてのとりくみを象徴的に表すものです。奇しくも戦後70年の年に、平和国家としての基本姿勢を大きく転換しようとする動きが強まり、全国各地で批判の声が相次いで上がり、世論調査においても懸念や不安が大勢を占めました。その背景には健全な批判力を養う教育の力があったと解釈します。権力の濫用に歯止めをかける力を養うことも教育の果たすべき重要な役割です。その点で、新たな教育課題として浮かび上がった「主権者教育」は、そのあり方に注目し議論されるべきものです。

「主権者教育」とは文字通り「主権者」としての自覚を促す教育であり、単なる「投票促進教育」に矮小化されるべきものではありません。イギリスで始められた「シティズンシップ教育」に近いものです。小中学校における自治的活動の分野はもちろんのこと、各教科学習においても「主権者教育」につながる学びはあり、むしろ民主主義社会の良き構成員たる市民を育成するという観点からすれば、義務教育からの様々な教育活動がすべて「主権者教育」に収斂されていくと言うことも可能です。それだけに「主権者教育とは」という課題について、借物でない私たちなりの解釈と実践がこれから求められてきます。少なくとも、人がその属する社会の形成に関して意思決定に加わる権利があることを知ること、その権利をしっかりとした根拠をもって行使しようとする態度を養うこと、権利行使をするための根拠となる考えをまとめるための知識や判断力を身につけること等が内包されるべきです。

加えて「主権者教育」をすすめるにあたっては、教職員自身が主権者として政治参画の重要性や民主主義のあるべき姿について理解を深めること、政治や社会の仕組みに対して関心をもち主体的に関わろうとする姿勢をもつことが不可欠です。また、「主権者教育」は教室の中で教員によってのみ行われるものでもありません。様々な職種、様々な立場からの見方・考え方に触れることで、正解のない問いに対する自分なりの考え方を確立するプロセスが必要です。それを、だれが、どのようにコーディネートするのか。この課題についてはまだ論じられていません。この一つをとっても、議論し尽くせない所があるものですが、このテーマに限らず、教育をとりまく様々な課題について議論し理解を深め合うことが重要であることを示す良い例であると思います。

記念講演

地域と学校 〜守るべき公教育とは何か〜

明星大学 樋口修資先生

政治主導で急速な教育改革がすすめられる中、公教育とは何かということが問われています。樋口先生からは、文部科学省等での豊富な職歴とその後の研究をもとに、公教育のあり方を、法制の視点、行政の視点、地域コミュニティの視点から、分かりやすく解説をしていただきました。行政だけではなく、教職員一人一人が地域と学校のあり方を考えることの大切さを示唆された講演でした。

■日本の公教育は国と地方のバランスを失いつつある
  • 公教育は「個人の人格形成」と「国家社会の形成者の育成」という両面をもっている。その効果は広く社会全体に還元されるため、その負担と費用も社会全体が責任を負う。
  • 憲法、教育基本法のいずれにおいても、すべての国民が等しく教育を受ける権利が保障されているにもかかわらず、現在は社会における格差・貧困が拡大し、教育の格差も進行している。
  • 国は、全国的な観点から教育の機会均等と教育水準の確保のために基準設定や財政支援を行う(ナショナル・ミニマム)。地方は、裁量性をもって地域の実態に合った最適な教育をつくり出す(ローカル・オプティマム)。このバランスが崩れてきている。
■行政が責任をもって地域の教育を守らねばならない
  • 教育論ではなく財政論から学校統廃合がすすめられている。学校の消滅は地域コミュニティの消滅である。統廃合の判断は市町村にあるが、本来は国が責任をもって全国のいかなる地域の子どもたちの教育も保障するべきである。
  • 義務教育学校や公設民営学校の制度化も、教育の機会均等や中立性の観点から大きな問題を抱えている。
  • 学校業務の複雑化・増大化によって、教職員が疲弊しきっている現状は危機的である。長時間勤務に歯止めをかけない教職給与特別措置法の見直しは喫緊の課題である。「チーム学校」が議論されているが、多忙化解消の実効性は小さいのではないか。多忙化解消には、教職員定数の改善は欠かせない。

参加者の声 〜熱い討論が行われた25の分科会より〜

  • 各地区の先生方の意見はレベルが高く、力の向上につながった。討論がしっかりと討論になっていて素晴らしかった。
  • 様々な実践の中に、もっとも大切な教員の思い、そしてそれを受けた子どもの変容が見られるものが多く、とても参考になった。
  • 小・中両方の実践が聞けるのは県教研だけなので、連携を考えたり、基礎基本の定着の大切さを改めて感じたりすることができた。
  • 主体性を導き出すためには家庭・学校・地域の連携が必要であり、安心・安全な環境が豊かな健康をつくる。討論の柱は有効であった。
  • 地域の特色や学校自体の違いによって、こうも異なったアプローチがあるのかと感じた。どの実践も全国に紹介したいものだった。